東日本大震災の津波で児童74人と教職員10人が犠牲となった石巻市大川小の津波事故訴訟で、学校の事前防災の不備を認めた仙台高裁判決が確定して1年がたった。学校管理下で起きた戦後最悪とされる事故を受け、学校はどう変わったのか。模索する教育現場や司法への影響を追った。

 人々の営みがあったはずの集落に、風雨にさらされた校舎がぽつんと残る。

 「学校に津波が迫る中、この校庭にとどまり、多くの子どもたちが犠牲になりました」

 大川伝承の会共同代表の鈴木典行さん(55)=石巻市=が9月27日、大川小の校庭で宇都宮市の中学生210人を前に語り掛けた。あの日、学校にいた6年の次女真衣さん=当時(12)=を失った。

 巨大津波の爪痕を前に、生徒の一人は「語り部の話に胸が苦しくなった。津波の恐ろしさと命の大切さを感じることができた」と感想を述べた。

 新型コロナウイルス禍で、修学旅行先を東京や関西から東北に変更する学校が相次ぐ。9月は毎週3、4校が大川小を訪れた。

 教育関係者の視察も絶えない。死者が最大32万人との推計がある南海トラフ巨大地震の発生時、大きな被害が予想される静岡県などから教員や教育委員会関係者が繰り返し足を運ぶ。

 伝承の会は2016年12月に語り部ガイドを始め、これまで約1万5000組を案内した。大半は宮城県外からだ。

 「なぜ宮城県や地元石巻市の学校は大川小に学びに来ないのか」。鈴木さんは何度もやるせない気持ちになった。

 「大川小で何が起きたのか」。遺族は事故直後から市教委に何度も説明を求めたが、納得できる回答は得られなかった。13年2月に文部科学省が主導し、市の第三者事故検証委員会が設立されたものの、結果は再び遺族を落胆させた。

 児童23人の遺族が14年3月、子どもを守る義務を果たさなかったとして市と宮城県を提訴した。真相究明を司法に託したはずが、県内の教育界には大川小事故をタブー視する風潮が広がった。

 最高裁が昨年10月10日、市と県の上告を棄却し、仙台高裁判決が確定した。にもかかわらず、石巻市教委が本年度、市内52の全小中学校に配布した防災教育の副読本「未来へつなぐ」には、大川小事故の記述は1行もない。

 副読本はA4判カラー約50ページを使い、市内の被災現場や救助活動の写真、避難所の様子を伝える。12年度発行の初版以来、初めて全面改定された。

 市教委の担当者は「判決が確定する前に全面改定の編集作業が終わっていた」と釈明する。「(大川小事故を記載する際は)事前に遺族と協議する必要があった」とも話すが、遺族側に相談を持ち掛けていない。

 大川小訴訟原告遺族の只野英昭さん(49)=石巻市=は「判決確定後も大川小事故に向き合おうとしていないのではないか」と市教委の姿勢をいぶかる。

 県教委は新任校長の研修会を今年11月、初めて大川小で開く。来年度以降、新規採用した教職員全員に対象を広げる方針だ。

 ようやく重い腰を上げた県教委に、鈴木さんは「大川小の教訓を学ぼうと、県外から既に多くの先生たちが来ている。宮城は10年遅れのスタートだ」と嘆息する。