東日本大震災の発生から10年目となった。一人一人に、それぞれの震災があり、災後の歩みがある。悲しみ、喪失感、苦しみ、喜び、希望…。あの日から、人々はどのような思いを抱き、どんな日々を重ねてきたのだろう。その軌跡をたどりたい。第1部は、震災の津波で園児8人と職員1人が犠牲になった宮城県山元町の私立ふじ幼稚園で、震災があった2011年から続く防災・伝承活動を描く。

 6月6日、園児がいない土曜のふじ幼稚園の教室に女性2人の姿があった。

 震災の津波で、園に通う一人娘のひな乃ちゃん=当時(5)=を亡くした高橋ひろみさん(55)と、震災時から園長を務める鈴木信子さん(62)。遺族と園の責任者という間柄だ。

 2人が着るTシャツには8人の子が描かれている。「お空の上の子どもたちも園児も一緒に命の大切さを伝えていこうね、という思い」。高橋さんがデザインの意味を語る。

 2人は5日後に迫った「笑顔広がれプロジェクト」という防災・伝承活動について打ち合わせた。命に思いをはせ、防災の種をまく。先生任せではなく、保護者任せでもなく、まして行政任せにもせず、一人一人が災害を考える。プロジェクトには卒園生や父母らも参加する。

 毎年恒例のプロジェクト入団式が11日、110人の園児が参加し、園で行われた。園長の鈴木さんが静かに語り掛けた。

 「みんなが生まれる前、大地震が起きたの。がたがたがたって地震だけじゃなくて、海の波が押し寄せて来ました。とても怖くて悲しいことが起きたのが3月11日でした…」

 震災を振り返り、地震の際の心構えも話した。「たった一つしかない命を守って」。仕事のため駆け付けられなかった高橋さんの言葉も伝えられた。

 プロジェクトの活動は園内にとどまらない。昨年9月21日、高橋さんと鈴木さん、園職員ら5人は広島県福山市鞆町(ともちょう)にいた。訪問先は「鞆こども園」。活動に共感し、15年からメンバーを毎年招いてくれている。

 「津波への意識が本当に低かった」。こども園の職員らを前に鈴木さんが声を絞り出した。「自分たちができなかったことを伝え、命を守る防災につなげていく。それが役目だと思っている」

 地震後、ふじ幼稚園は園児51人を2台のバスに乗せ園庭で待機させた。園は津波を想定した避難マニュアルを用意していなかった。1.6キロ離れた海から高さ約2メートルの津波が押し寄せ、バスをのみ込んだ。

 鈴木さんらは語り合いの前、古い港町で狭い道ばかりのこども園の周囲を歩いた。園の避難訓練計画や備蓄品リストも点検した。

 「食料はもっと必要。ふじ幼稚園では引き渡しに5日ほどかかった」「訓練の時間帯が、いつもほぼ同じになっている。あらゆる状況を考えて」

 命を守れなかった幼稚園職員。子を失った親。双方の言葉に、こども園の職員らの表情が引き締まる。片岡孝子主任(71)が言う。「園長先生の目の前に子を亡くしたひろみさんがいる。お二人とも本当にしんどいと思う。失われた命への強い思いを感じた」

 高橋さんは、心の奥にしまい込む思いを静かに明かす。「逃げなかった先生たちの判断は今も許せない。でも、自分も津波を想定していなかった…」

 高橋さんと鈴木さんはなぜ共に歩くようになったのか。娘への深い愛情と悲しみを抱いて開いた扉がある。2人の心が共振し、扉を動かし始める言葉が、震災から3カ月後にあった。
(安達孝太郎)

[ふじ幼稚園の津波被害]地震発生後、園は園児をバスに待機させ、津波に襲われた。2013年4月、犠牲になった園児8人のうち6人の遺族が「津波の危険性を予見できたのに情報収集せず、園児を避難させなかった」などとして園側に損害賠償を求める訴訟を提起。15年10月、(1)死亡した園児に哀悼の意を表する(2)津波防災マニュアルの整備(3)解決金の支払い-などを条件に和解が成立した。