東日本大震災で被災した宮城県山元町の私立ふじ幼稚園園長の鈴木信子さん(62)は今年1月18日、津市にいた。保育所や幼稚園の職員約100人を対象にした研修会で震災を語った。

 「私たちの経験はお手本ではありません」。園のバスにいて津波に襲われた園児8人、職員1人が犠牲になったと伝えた。

 園が2011年8月、内陸部の集会所で再開した時の子どもたちの様子も報告した。仮園舎に集ったのは70人。心の傷は深かった。

 5歳の女児がある日、鈴木さんの花のブローチを見て言った。「壊したい」。鈴木さんは翌日、自宅の花を摘み、「これだったら」と手渡した。女の子は花をむしり取った。その女児は、一番仲の良かった友達を園に押し寄せた津波で亡くしていた。

 園で津波に襲われた5歳の男の子はふと、「先生、津波のこと話していい?」と鈴木さんに話し掛けてきた。母親にも言わなかった体験を打ち明けた。

 子供たちは少しずつ、胸につかえていた苦しみを吐き出した。

 園が「笑顔広がれプロジェクト」と名付けた防災・伝承活動を始めたのは、再開後間もなくだった。園児がヒマワリを育て、命を思う。自然災害などを想定した安全訓練は月に1度以上実施する。

 呼び掛けたのは、津波で亡くなった高橋ひな乃ちゃん=当時(5)=の母ひろみさん(55)と父光晴さん(52)。幼くして逝ったわが子の笑顔とヒマワリを重ね合わせた。

 仮園舎での活動と並行し、園の再建話が持ち上がっていた。園を二度と見たくない遺族もいるのではないか。鈴木さんは迷った。

 そんな時、再建の支援を考えていた日本ユニセフ協会の大使、アグネス・チャンさんから掛けられた言葉がある。

 「先生、苦しんでも泣いてもいいよ。でも、子どものためにしっかりやらなくちゃ」。高橋さん夫妻が語った「自分の道を生きて」という言葉と共鳴し、気持ちの焦点が定まった。

 「亡くなった命がある。今ある命もある。あの日、園にいた子どもたちへ、自分なりの責任を取ろう」。そう覚悟を決めた。園が再建されたのは12年。ただ、鈴木さんが人前で震災体験を語れるようになるには、6年の歳月を要した。

 プロジェクトに関わり続ける卒園生もいる。18年8月に山元町であった幼稚園教諭の研修会。同町山下中2年の三浦愛友花さん(13)は母親と参加し、プロジェクトで生まれた歌を他の卒園生らと歌った。

 歌の題名は「ひまわりおやくそく」。高橋さん夫妻が作詞し、鈴木さんが作曲した。三浦さんは歌い終えて、勇気を出してひろみさんに話し掛けた。「プロジェクトのことを教えてもらえませんか」

 震災当時はまだ4歳。園にいた時は、プロジェクトの意味がきちんと分かっていなかった。「改めて話を聞き、命の尊さを思う活動の意味を知りました」

 子どもが大好きでこの仕事に就いた鈴木さん。大切な娘を亡くした高橋さん夫妻。プロジェクトに託す思いは一致する。

 「ひまわりおやくそく」には、高橋さん夫妻が震災後、亡き娘と交わした約束が歌われている。未来の命を守る-。