東日本大震災の発生から10年の道のりは、過酷事故を起こした東京電力福島第1原発が立地する福島県にとって風評との闘いの歩みでもあった。福島の海をなりわいとする浜や水産加工、流通の現場を訪ね、風評にあらがい続ける人々に会った。(5回続き)

 エンジン音を高らかに上げ、遊漁船「長栄丸」が出港した。7月中旬の週末の早朝、富岡町の富岡漁港。梅雨の雲間から真夏の日差しがきらめく。波の向こうに第1原発が見える。

 この日、釣果はまずまずだった。「おおっ、すごいのを釣ったぞ」。船べりに陣取った約20人の太公望から次々に歓声が上がった。

 いわき市山田町の会社員八木淳一さん(44)も約2キロのタイを釣り上げた。満面の笑みで「福島の漁場はすごい。県民はもっと誇りに思っていい」と語った。

 市内の任意団体「いわき海洋調べ隊 うみラボ」の共同代表を務める。原発事故によって傷つけられた福島の海を市民の視点で発信している。

 大の釣り好き。原発事故前は年200日ほど海辺でさおを振った。釣ったカレイやアイナメを食卓に出すと、小学生だった長女がおいしそうに食べた。

 事故後、近所でイナダが釣れた。回遊魚のイナダは安全と分かっていたが、娘に出すのは気が引けた。刺し身にし、大半を夫婦で寂しく食べた。楽しかった食卓に微妙な空気が流れた。

 「『魔境』と化した福島の海を何とかしたい」。自分の目で確かめようと2013年11月、第1原発から1.5キロまで船で近づいた。

 水素爆発が起きた建屋は復旧が進み、整然としている印象すら受けた。「鉄骨むき出しで煙を上げている」という事故直後のイメージは消し飛んだ。

 同時に感じたのは「勝手なイメージや思い込み、上書きされない知識がいかに役に立たないか」ということだった。福島の海を体感できる「ツアー」があったら-。14年、事故後に知り合った水産会社の社員や漁業者と体験型の海洋調査を始めた。

 調査は遊漁船をチャーターして行った。会員制交流サイト(SNS)などで公募した市民十数人と市内の久之浜漁港を出発。7時間かけて検体にする魚を釣ったり、海水や海底土を採取したりした。「怖かった福島の海のイメージが変わった」。参加者からは好意的な感想が寄せられた。

 調査に使っていた船は18年から本来の遊漁船としての営業を再開。検体の放射性セシウム濃度も検出限界値未満が相次いだ。

 最近は、釣りを通して海を身近に感じてもらう活動に切り替えている。新型コロナウイルスの影響で自粛中だが、落ち着いたら親子釣り教室を開きたい。

 3年ほど前、うれしいことがあった。東京の大学に進学した娘が「都内の高いすし店で食べる魚もおいしいけど、お父さんが釣った魚も負けないくらいおいしいよ」と言ってくれた。

 「娘に古里の海に誇りを持ってもらいたい」。うみラボの活動開始当時に掲げた目標は、着実に実現しつつある。
(神田一道)