午前3時、暗闇の中を小型船観音丸が沖合5キロの漁場に着いた。乗組員の1人が刺し網を勢いよく巻き上げる。残る5人がカレイやヒラメ、コチなどの魚を素早く網から外し、水槽に放り込む。

 「網をよこせっ」。福島県新地町の3代目船主小野春雄さん(68)が鋭い眼光で指示を飛ばす。2時間弱の漁を終え、夜明け頃に町内の釣師浜(つるしはま)漁港へ戻った。

 東京電力福島第1原発事故後の市場の反応を探る試験操業が始まって8年。漁が可能な日数や海域、使える網の数に至るまで制限が多い。小野さんは「窮屈だ。自分たちの海なのに自由に漁ができない」と漏らす。

 検査で安全性をどれほど確かめようが、他産地との価格差はなくならない。「隣の宮城と比べて半値の魚もある。ただ『福島』というだけで」

 10年の歩みは苦難の連続だった。

 2011年3月11日、津波から守ろうと沖に出した船の上で、同じように沖に向かっていた弟の漁師常吉さん=当時(56)=から無線が入った。「船が横になった。もう駄目だ」

 「今行く」と伝えたが、間に合わなかった。常吉さんは4カ月後、遺体で見つかった。

 11年4月、茨城、福島沖のコウナゴから相次いで放射性物質が検出された。海中のがれきを片付ける仕事の傍ら、報道に接するたび「駄目だな」と思った。

 全面自粛を経て12年6月に試験操業が始まった。当初出荷を許されたのは、生のまままでは市場に流通しないヤナギダコとミズダコ、ツブ貝のわずか3種類。出荷制限が全て解除されたのは20年2月になってからで、「ようやく当たり前の状態に一歩近づいた」と安堵(あんど)した。

 一方で同じ時期、国は第1原発にたまり続ける処理済み汚染水の処分方法の最終検討に入った。結論は出ていないが、最も容易な海洋放出を有力視しているように見える。

 「少しずつ実績を積んできたのに、処理水を流せばまた一からやり直し。廃業や自殺に追い込まれる人も出かねない」

 小野さんは各地で放出反対を訴え、国に意見書も出した。放出は数十年がかりとされ、漁師になった息子3人のためにも「今声を上げなければ誰がこの海を守るのか」との思いが強い。

 「こんなにうまい魚が取れる海は他にない。無限の可能性を秘めた、自慢の海だ」。船乗りとして培った誇りを胸に、延期になった東京五輪で聖火ランナーを務める。品質の良さを世界に発信し、地元漁師を元気づけたい。

 目標は「あいつ(弟)の分も生きて、100歳まで現役を続けること」。健康維持のため、毎日1時間の登山を欠かさない。

 「約30年後とされる廃炉完了を見届けたい。廃炉後は、孫もひ孫も安心して海で生きていけるから」

 命ある限り福島の海を守る。そう心に決めている。
(斉藤隼人)