東日本大震災の発生から9年半。被災地では失われた命の重さと向き合う日々が続く。第3部は、遺体の身元確認のために混乱の中で歯科所見を作成し続けた岩手医大の歯科医、似顔絵に心血を注ぐ宮城県警鑑識技能伝承官の思いを追った。(6回続き)

 遺体は毛布やビニールシートにくるまれ、無造作に冷たい床に並べられていた。

 震災翌日の2011年3月12日。岩手医大准教授の熊谷章子さん(50)=盛岡市=は、津波で1557人が亡くなった陸前高田市に入った。犠牲者の身元確認に必要な歯科所見を記録するためだ。

 当時は口腔(こうくう)外科講座の助教。警察協力歯科医として遺体安置所に派遣された。法医学を学んだ岩手県内ただ1人の法歯学者。震災の約10年前から身元不明者の検視に携わってきた。

 遺体に手を合わせ、口を開ける。歯の治療痕や欠損を「デンタルチャート」(死後記録)に記入し、顎の大きさなどから性別や年齢を推定する。最後は口を閉じ、再び合掌。その行為を繰り返した。「あれほど多くの遺体を診たのは初めてだった」と振り返る。

 震災発生から最初の1週間、県内各地の安置所には多くの遺体が運び込まれた。県警によると最多は3月15日の621体だった。

 チャートを作成できる応援の歯科医が集まり始めたのは、ピークを過ぎてから。1週目は人手不足が深刻で、経験がない歯科医も作業に加わった。

 翌4月、安置所での活動と並行し、生前の歯科治療が記録されたカルテとチャートとの照合が始まった。治療状況などが具体的に書き込まれているはずなのに「○」「△」としか歯の状態が記入されていない、遺体を区別していた番号がない-。不完全な内容が目立ち、熊谷さんはがくぜんとした。

 検視は、普段書いているカルテと全く別の知見が必要になる。混乱した現場を知るだけに、当時は「仕方がない」と思った。だが今、あの1週目は「失敗だらけだった」と痛感する。

 県警は12年11月、8件の遺体取り違えを公表。その後さらに2件が判明した。

 「うちの母ちゃんだ」「間違いないから早く返して」。安置所では、見た目だけで引き渡しを求められるケースが相次いだ。推定年齢や所持品が一致すれば、DNA型鑑定や歯科所見の結果を待たずに引き渡した例もあった。

 県警捜査1課検視官の宮城太一さん(43)は「できることを尽くしたが、本来は科学的根拠を基に判断しなければならなかった。遺族には本当に申し訳ない」と悔やむ。

 警察庁の今年6月のまとめで、岩手県の身元確認方法は「身体的特徴・所持品」が94.9%。被災3県の88.6%を上回った。

 一刻も早く遺族の元に返してあげたい。全ての人たちが身元の特定に奮闘してきたのは紛れもない事実だ。だが、「取り違えの10件は氷山の一角ではないか」。熊谷さんは、そんな思いを拭うことができない。

 最も悔いが残るのは震災の4日後。津波と火災で壊滅的な被害を受けた大槌町での活動だった。
(北村早智里)