東日本大震災の津波で児童74人と教職員10人が犠牲となった石巻市大川小。児童23人の遺族が起こした訴訟は、原告勝訴の仙台高裁判決が確定して1年が過ぎた。「救えた命だった」。遺族の訴えは司法に認められたものの、わが子は帰らない。一人息子を失った原告遺族の軌跡をたどる。

 高さ3メートルの真新しい永代供養塔が秋雨に打たれていた。「これで安心して一緒に眠れる」。石巻市の佐藤美広(みつひろ)さん(59)が9月13日、市内の寺院に建立した供養塔の開眼法要に参列し、静かに手を合わせた。

 学校にいた大川小3年の長男健太君=当時(9)=を亡くし、大川小訴訟で原告団の副団長を務めた。裁判には19遺族が参加した。

 健太君は不惑でようやく授かった一人息子だった。なぜ亡くなったのか。真相が知りたい。これからどう生きればいいのか…。

 抱え切れないほどの不安や疑問と共に、9年7カ月の歳月を生きてきた。「俺たち夫婦が死んだら、健太は無縁仏になってしまう」。跡継ぎを失った佐藤家にとって、とりわけ墓守の問題は深刻だ。

 原告団長を務めた今野浩行さん(58)=石巻市=夫妻に相談を持ち掛け、今春、共同で供養塔を建てた。

 今野さんも、学校にいた大川小6年の長男大輔君(12)をはじめ長女の麻里さん(18)、次女の理加さん(16)=いずれも当時=の子ども3人を亡くした。跡継ぎを失い、佐藤さんと同じ悩みを抱えていた。

 昨年10月10日、最高裁は石巻市と宮城県の上告を退け、大川小側の事前防災の不備を認めた仙台高裁判決が確定した。佐藤さんら遺族が提訴して5年7カ月。長い闘いが終わった。

 最高裁の通知が郵送で届いたのは翌11日の月命日。新潟県を旅行中、原告仲間から電話で知らされた。「健太、勝ったからね」。妻とも子さんのつぶやきが今も耳に残る。

 裁判の終結から1年。いまだに勝訴を素直に喜べない。判決の意味を知れば知るほど、「学校側がきちんと対応していれば…」との思いが強まる。

 「おっとう、やっぺ」

 健太君は小学2年の時、地元の少年野球チームに入った。試合がない日曜日、決まって自宅前でキャッチボールをせがまれた。

 「相手の胸を目がけて投げろよ。目を離しちゃ駄目だ」。佐藤さんもかつて草野球チームに所属していた。ボールを投げ合う時間がいとおしかった。

 健太君は2001年8月11日に生まれた。月命日も11日。最高裁の通知も11日に届いた。「みんな重なっている。裁判所は月命日に合わせてくれたのかも…」

 きょう11日で震災発生から9年7カ月。健太君は9歳7カ月で短すぎる人生の幕を閉じた。佐藤さん夫妻に喜びをもたらした歳月と、苦悩に満ちた歳月が横一線に並ぶ。

 「健康で太く生きてほしい」。願いを込めた一人息子中心の日常が、永遠に続くと思っていた。
(氏家清志)