末期に近い直腸がんの宣告を受けたのは2014年5月だった。「死ぬのか」。一瞬頭をよぎったが、佐藤美広(みつひろ)さん(59)=石巻市=は、不思議と落ち込まなかった。

 石巻市大川小3年だった一人息子の健太君=当時(9)=を東日本大震災の津波で失った。「あいつを亡くす以上にショックなことはない」。現実を淡々と受け止めた。

 2カ月前に提訴した裁判の行方だけが気掛かりだった。大川小児童23人の19遺族が市と宮城県に損害賠償を求めた訴訟。「事故の真相を知りたい」と原告に名を連ね、副団長に就いた。

 仲間たちが学校防災に関する資料を集め、生き残った児童や地域住民らに聞き取りを重ね、証拠集めに奔走していた。

 体が言うことを聞かない。何もできない。後ろ髪を引かれる思いで仙台市内の病院に入院した。

 直腸を約20センチ切った。放射線治療と抗がん剤の副作用で食べ物を受け付けない。50キロ台だった体重は36キロになった。半年後に退院。一日も早く闘いの場に戻るという気持ちが、折れそうになる心を支えた。

 仙台地裁の裁判官が大川小を視察する直前の15年11月、原告団は校庭にフェンスや通路に見立てたロープを張り、校庭から裏山への避難にかかる時間を計った。

 児童らは地震発生から約45分間校庭にとどまり、津波襲来の直前に移動を始め、濁流にのまれたとされる。計測は、裏山に逃げれば助かったことを証明する狙いがあった。

 「走ってくれる人はいませんか」。原告代理人の吉岡和弘弁護士(72)の呼び掛けに手を挙げた。身長158センチ。原告の男性で一番小柄だ。「俺しかいない」。最初から決めていた。

 裏山を少し登った所に津波到達地点を示すくいがある。そこから校庭を見下ろすたび、悔しさがこみ上げる。「ここに逃げていれば、子どもたちは全員助かったんだ」

 冷たい雨の中、何度も計測を繰り返した。小走りで59秒、徒歩で2分1秒。計測結果は地裁判決に反映された。

 「子どもを使って金取りするのか」。JR石巻駅前で見ず知らずの男性に言われた。学校側を訴えることを快く思わない人たちの冷たい視線を感じた。

 「勝てるかどうかではなく、勝たなければいけない裁判だ」。吉岡弁護士の言葉に何度も救われた。全国の支援者にも励まされた。

 裁判は二審も勝訴した。仙台高裁の控訴審判決が言い渡された18年4月26日、「子供たちの声が高裁にも届いた」と書かれた垂れ幕を力強く掲げた。

 上着の左ポケットに野球ボールを忍ばせていた。健太君と最後のキャッチボールで使った軟球だ。「力を貸してくれ」。法廷にいつも持ち込んでいた。

 涙を拭った後、左手をポケットに入れた。

 「おっとう、頑張ってくれたな」

 息子の声が聞こえた気がした。