涙が枯れることはない。佐藤美広(みつひろ)さん(59)=石巻市=は一人息子を失い、身をもって知った。

 離れ離れの母と子が再会する時代劇の場面に涙する。小さな子どもがお使いをするテレビ番組は、最後まで見られたためしがない。

 東日本大震災の津波で石巻市大川小3年だった長男の健太君=当時(9)=を亡くした。「あんなに流したはずなのに…。涙ってまだ出るんだな」

 今年から気仙沼市にある会社の寮で単身生活を送る。息子の写真を枕元に置き、夢で会えることを願ってベッドに入る。

 児童と教職員計84人が津波の犠牲になった大川小。佐藤さんら19遺族が真相解明を求め、石巻市と宮城県を相手に起こした訴訟は昨年10月10日、学校側の事前防災の不備を認めた仙台高裁判決が確定した。

 裁判が終わった今も、佐藤さんはある遺族の言葉の意味を問い続けていた。

 佐藤さんら遺族有志が2015年5月、男鹿市の加茂青砂海岸を訪れた。1983年5月26日の日本海中部地震で、旧合川南小(北秋田市)の4、5年生が遠足中に津波に遭い、児童13人が命を落とした場所だ。

 三十三回忌に参列し、津波で子どもを亡くした親同士が交流した。「私たちは教訓にならなかった」。旧合川南小の遺族が漏らした一言が今も心を離れない。

 旧合川南小の児童5人の遺族が83年10月、引率した教員に過失があるとして、合川町(当時)を相手に訴訟を起こし、4年後に和解した。

 「教訓にならなかった」の真意は、最後まで争うべきだったという後悔なのか。学校防災が改善されなかったとの意味なのか。佐藤さんは今年に入って原告団の共同代表に就き、自分なりの答えを見つけた。

 「裁判で勝って終わりではない。判決を伝えることで教訓にしていくんだ」

 今年7月11日の月命日。河北新報の記事が目に留まった。震災の津波で園児8人と職員1人が亡くなった宮城県山元町の私立ふじ幼稚園の防災・伝承活動を紹介していた。

 命を守れなかった幼稚園側と子を失った親が、一緒に命の大切さを訴える。「われわれも行政側と共に子どもたちの命に向き合えたら…」。大川小の未来の姿を見た思いがした。

 ただ…。市教委は生存児童らに聞き取ったメモを廃棄した…。学校にいた教職員で唯一生き残った男性教務主任(59)の証人尋問はかなわなかった…。裁判には勝ったが、未解明な部分がある。気持ちの整理はまだつかない。

 最近、新型コロナウイルスの影響で遺族による伝承活動の先行きに不安を覚える。それでも、亡くなった子どもたちに背中を押されている気がしてならない。

 「裁判で勝ったんだから、同じ事が起きないようにちゃんと大川小のことを伝えてね」

 亡き息子のため、必死に生きた9年7カ月。これからは教訓の伝承という課題を背負って歩いて行く。
(氏家清志)