<星野仙一さんは地元・岡山の倉敷商高から明治大に進み、ドラフト1位で中日に入団した。阪神のエース村山実投手の背番号「11」に憧れていたが、最初の背番号は「22」。3年目から、杉下茂氏や権藤博氏らが付けた中日のエースナンバー「20」を背負った>

◎3年目投手が20

 入団当時、中日の11番は早稲田大出身の徳武定祐さんが付けていた。大先輩だから、それを外せとは言えない。22番で甘んじたということです。
 ずっと22番でいこうと思っていたが、それは駄目だと言われた。中日のエースナンバーは20だと。3年目の私が付けるとは、いかに投手がいなかったか。

 <星野さんは20番を背負い続け、1982年に現役を引退。NHKで解説者やキャスターを務めた。そこで親交を深めたのが、宿敵・巨人が65~73年に9連覇を達成したときの監督、川上哲治氏だった>

 NHK時代、川上大先輩とは野球教室や解説などの仕事だけなく、遊びでもいろいろ話をしました。ゴルフに行くときは私が迎えに行き、車の中で野球の話をいっぱい聞きました。
 あるとき、聞いた。「V9はすごいけど、ON(王貞治氏、長嶋茂雄氏)がいて、よそからたくさんいい選手を取ったら、誰でも勝てるでしょう」。そんなこと言える人は誰もいないんだけどね。すると、川上さんは「そうだよ。おまえでも2連覇か3連覇はできる」と言うんですよ。「しかし、9連覇は俺しかできない」と言ったんです。
 当時、マスコミは王派、長嶋派と色分けしていた。表面的にぶつかることはなかったが、両雄はお互い異常なライバル意識を持っていました。「2人をけんかさせなかったのは俺の力だ」と川上さんは言うわけです。名参謀だった2人の名前を挙げ「牧野(茂)、藤田(元司)が間に入って、うまくチームをまとめてくれた。これが9連覇の原動力だ」と。

 <星野さんは86年オフ、中日の監督に就任した。選んだ背番号は「77」。川上氏の監督時代の番号だ>

◎川上さんは快諾

 川上さんになぜ77番を付けたんですか、現役のときは16番だったでしょうと聞いたことがある。アメリカのドラマで「サンセット77」というのがあった。本人はそこから「いい語呂だ」と軽く付けたらしいです。
 中日の監督になるとき、「77番を付けていいですか」と聞いたら「おお、うれしいな」と言っていただき、77番をいただいたという経緯です。

 <中日、阪神、そして東北楽天。星野さんは監督として生涯、77番を背負い続ける>