第100回全国高校野球選手権大会で頂点に迫った金足農(秋田市)をけん引したエース吉田輝星(こうせい)投手(17)が、プロ野球という次なる舞台を目指し25日のドラフト会議を待つ。甲子園で見せた目を見張る快投は全国の関係者を驚かせ、人々の心に強く刻まれた。雑草軍団と称される金農野球部の躍進の象徴的存在ともなった吉田投手の軌跡をたどり、さらなる成長の鍵を探る。(秋田総局・佐藤駿伍)

 秋田市の北端にある金足農から北に数キロ。潟上市天王で吉田投手は育った。
 旧天王町は平成の大合併まで南秋田郡に属した。同郡は元中日監督の落合博満氏(64)や近鉄などで4番を打った石井浩郎氏(54)らの有名プロ選手も輩出した野球の盛んな土地柄だ。
 吉田投手は小学3年生からスポーツ少年団「天王ヴィクトリーズ」で野球に没頭した。「とにかく野球が大好きな子」。河村正悦監督(55)はこう思い起こす。
 金足農野球部OBで投手だった父・正樹さんの影響で幼少期から野球に触れ、ヴィクトリーズ入団時には力強いボールを投げていた。
 小学4年で投手を始めた。河村さんは「真っすぐを磨きなさいとアドバイスした」と振り返る。人一倍うまくなりたいという思いが強く、率先して練習し帰宅後も自主的に走った。
 野球への貪欲さは天王中に進んでも変わらない。中学2年から指導した石川英樹さん(55)=現男鹿南中野球部監督=は吉田投手を「有言実行」と評する。
 「中学時代から度々『プロになる』と口にしていた」と石川さん。目標をかなえるために足りない部分を自分で考え、とことん追い込む。今夏の甲子園で見せた巧みなけん制球なども自発的に身に付けた。
 球速を上げる目標を立て、下半身の強化が必要と思えばタイヤを引いて走り込んだ。成果は顕著に現れた。2年秋に110キロ前後だった球速は、3年春には約125キロまで増した。
 もっと速い投手はいたが、元々伸びのある直球の球威が増し、他チームの監督も「どういうわけか打てない」と口をそろえた。
 地道な鍛錬の積み重ねが驚異的なスタミナにつながった。連投でも決して自分からマウンドを降りず、中3の秋田県大会では全試合を1人で投げ抜き、チームをベスト4に導いた。金農でのこの夏の奮闘ぶりと、その姿がぴったり重なる。
 高い目標を立ててかなえてきた吉田投手だが、金足農で主戦となった高2の夏は挫折感を味わった。
 秋田で競い合うライバルの山口航輝投手(現3年)がいる明桜に秋田大会の決勝で敗北。悔しさをバネに1年間精進し、今夏の甲子園での快進撃につなげた。
 大阪桐蔭との決勝で、吉田投手は疲労が限界に達し途中降板。試合も敗れ、再び無念さをかみしめた。
 負けてさらに強くなる-。石川さんはあえて逆説的に展望する。「大阪桐蔭に負けたことは、ある意味で良かったのかもしれない」