東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で住み慣れた古里を失い、今なお仮住まいが続く人々がいる。自立への不安、励まし合った日々、つらさに耐え、抱き続ける帰還の願い-。仮設住宅で7年を迎える、それぞれの思いとは。

◎盛岡 熊谷真吾さん(36)

 熊谷真吾さん(36)一家は4月上旬、7年近く住んだ盛岡市のみなし仮設住宅を退去することになった。「家族3人、安定して暮らしたい。今はそれが一番」と話す。
 生まれ育った大船渡市で被災し、自宅も勤め先も津波で失った。
 妻麻衣さん(29)、当時1歳だった長男頼人(らいと)君(8)と共に盛岡市に身を寄せて2011年5月、みなし仮設住宅に入居。復興支援に取り組む一般社団法人「SAVE IWATE(セーブイワテ)」の職員となり、家族を養ってきた。
 仮設住宅の入居期限は毎年延長が繰り返されてきたが、新年度以降は災害公営住宅の入居予定世帯のみに限定される。
 小学2年になった頼人君のことを考えると、転校を余儀なくされる災害公営住宅への入居は選べなかった。退去期限は今年5月19日と決まった。
 「ついに来たか」。本音を言えば、延長してほしかった。だが「被災者と言われ続けるのも嫌。そろそろ、自立しないと」。
 昨年12月、盛岡市内の運送会社に転職した。
 新生活には不安もある。今は家族3人が食べていくので精いっぱい。「掛け持ちで、仕事を増やそうかな」と思う時もある。
 時折、自分の心が大船渡から離れていると感じる。「現実的に考えて、戻るのは難しい。いつの日か大船渡に帰り、夫婦でゆっくり暮らせたらいいなと思うけど…」(盛岡総局・松本果奈)