東京電力福島第1原発事故の放射能汚染にあらがい、雇用を守った。7年たった今、復興が遅れていた被災地で最先端産業を芽吹かせている。
 大手メーカーの製品試作を受託する菊池製作所(東京)は福島県飯舘村に主力の福島工場を持つ。原発事故前、全従業員約400人の6割超の約250人が福島工場で働いていた。
 2011年4月22日、飯舘村は原発事故で計画的避難区域に指定され、住民は村外への避難を迫られた。
 「工場を止めたら仕事がなくなる。そうなれば雇用は維持できない。操業を続ける道しかなかった」。斎藤政宏統括工場長(47)は振り返る。
避難区域で操業
 5月17日、同社は特例で事業継続が認められた。従業員の放射線量が年間20ミリシーベルトを超えないことなどが条件で、従業員は避難先の福島市などから通った。
 従業員の健康管理には細心の注意を払った。放射線量計を配備し、3月からの累積線量を計算。事務所や工場の入り口にエアシャワーも設置した。
 飯舘村は同社の菊池功社長(74)の出身地。中学卒業後に東京の試作会社に入社した後、1970年に独立した。当時、東京の工場では育成した人材が大企業に引き抜かれ、人材不足に悩んだ。一方で飯舘村は就職先が少なく、若者の流出が進んでいた。
 「飯舘に工場を作れば若者が田畑を守りながら働ける。会社を辞めず、腰を据えて技術を磨くこともできる」。菊池社長は84年、福島工場を建設した。同社の製造拠点となり、村にとっても最大の事業者となった。
 原発事故後、福島工場の従業員は避難生活の長期化に伴い減少。放射線への不安や遠距離通勤の疲れが理由となり、ほぼ半数の120人以上が退職した。
 危機的状況だったが、避難区域でも操業を続けた同社に福島の事業を縮小する選択肢はなかった。あえて福島第1原発がある相双地域で工場進出を加速させた。
先端分野に活路
 12年11月、川内村にアルミの鋳造工場を開設。16年2月には、南相馬市小高区で介護や医療用の先端ロボットを製造する工場を稼働させた。雇用も拡大し、現在は原発事故前に近い計約220人が県内で働く。
 南相馬工場で量産するマッスルスーツはグループ企業が開発した。身に着けると力仕事が楽になり、介護事業者などに約3500台を販売。小型無人機「ドローン」など最先端の商品開発にも着手した。
 「将来性がある産業は若者を地元にとどめる。介護や1次産業をサポートする産業の拠点を東北に形成し、雇用を生みたい」
 菊池社長は原発事故被災地を舞台に夢を描く。
(高橋公彦)