10代の子どもたちが、「あの日」を語り始めた。幼かった頃に東日本大震災を経験し、7年がたった。当時は表現できなかった震災への思い、未来への希望。風化に抗い、復興へ進む地域のこれからを担う世代の声に、耳を傾ける。

◎難民問題シンポで発言/「もらってばかりは嫌」/岩手・住田高2年 大谷一馬さん(17)

<多くの支援品>
 「支援してもらったのはありがたかったけれど、それが当たり前になるのが嫌だった。自分の力で何とかしたいという気持ちも結構あった」
 「高田から世界を考える」シンポジウムが1月下旬、陸前高田市であった。難民問題を話し合う。遠い世界の出来事とばかり思っていたが、自分もまた難民のようだった。古里は壊滅し、着の身着のままで逃げてきたのだから。
 同市竹駒町の仮設住宅で暮らす住田高(岩手県住田町)2年大谷一馬さん(17)が登壇し、自分の考えを述べた。
 東日本大震災が起きたのは陸前高田市気仙小4年の時だった。小学校の校庭で津波に追われ、斜面を駆け上がった。靴は泥だらけ。避難所でランニングシューズをもらったときは、本当にうれしかったという。
 服、ランドセル、筆記用具、野球のグラブと、必要なものが支援物資でそろった。菓子もふんだんに届く。「食べ過ぎと運動不足で顔が丸くなった」
 同市気仙町今泉地区の自宅は津波で全壊。仮設住宅に入居してからも被災地には多くの支援が寄せられた。確かに善意ではあるが「被災者だから、と特別扱いされているみたいな気がした」。

<活気ある街に>
 震災後、仲の良かった同級生はばらばらになった。立て込む仮設住宅の敷地では思い切り遊べず、部屋でゲームをしても騒げない。自宅を再建して引っ越す友達もいた。
 忘れられない古里の光景がある。山車を豪快にぶつけ合う今泉の伝統行事「けんか七夕」だ。
 大人たちが元気を出そうと震災後も行事を続けているが、参加する人は減った。「多くの人に知ってほしい」と昨年秋、高校の文化祭で地元出身の仲間と太鼓や笛を披露した。
 浜辺での夜釣りが楽しみになった。真っ暗だった中心市街地に少しずつ明かりが増えて復興を感じる。
 地元で消防士を目指している。人のために尽くす姿に憧れた。転勤がないのもいい。「起きたことは変えられないが、未来は変えられる。何年かかってもいいから、もっと活気ある街にしたい」
 そのために何をすべきか。まだ分からないが、いろいろな人の意見を聞きたいと考えている。まずは野球部の主将として最後の夏に向かって頑張るつもりだ。新調したキャッチャーミットには「恩返し」と刺しゅうした。
(大船渡支局・坂井直人)