◎第6部 近現代(1)自由民権運動

 明治維新で日本は上からの近代化を推し進めた。個人の人権より、天皇を中心とする国家体制が優先された。富国強兵の国策は戦争につながり、悲劇を招いた。近代のひずみを最も大きく受けた東北。東京電力福島第1原発事故はその延長線上にあり象徴的だ。阿武隈川流域で、敗戦までの近現代史を考える。(角田支局・会田正宣)

 「それにしても遠い。一人一人に考える自由や、幸福を求める権利がある。互いに認め合う社会をつくりたいだけなのに」

<重謙屋敷で演劇>
 阿武隈山地の福島県石川町中心部に立派な屋敷がある。自由民権運動に熱心だった元庄屋、鈴木重謙(じゅうけん)の屋敷だ。ここで2018年11月、劇の上演があった。

 須賀川市のNPO法人「はっぴーあいらんど☆ネットワーク」の演劇「天福ノ島」。民権運動に対する弾圧と、原発事故を巡る福島の苦悩を交差させ、自由や人権の意味を問い掛けた。

 同町は知る人ぞ知る「民権運動発祥の地」だ。西の板垣退助と並び称された東の河野広中は、石川区長に赴任して民権運動を始めた。重謙屋敷は河野が執務した区会所で、民権運動家の立会演説会場にもなった。

<有志会議を開設>
 同町の民権運動結社「石陽社」の前身である有志会議は1875年に開設された。土佐(高知県)の立志社設立の1年後で、東日本で最も早かった。

 石陽社員の中心は農民や神官で、士族中心の土佐と異なる。同町の郷土史研究団体「石陽史学会」前会長の小豆畑(あずはた)毅さん(77)は「封建時代の身分制度に苦しんだ階層が民権思想を受け入れた。上からの啓蒙(けいもう)ではなかった」と説明する。

 小豆畑さんは、石陽社員の多くが阿武隈川沿いに存在したことに注目する。「石川は農業に適した阿武隈川沿いの平野部から発展しており、識字率が高かったのだろう」と推測する。

 民権運動研究の第一人者である安在邦夫早大名誉教授(二本松市出身)はじめ、全国の研究者が参加する福島自由民権大学が1991年から活動する。

 町在住の代表運営委員鈴木吉重さん(66)は原発事故当時、浪江高(浪江町)の校長だった。二本松、いわき両市にサテライト校を置いた同高だが、避難のため新入生は定員の半数だった。

 「生徒は一生懸命、明るく振る舞っていた。仮校舎で肩身の狭い思いをさせ、申し訳なかった」と悔やむ鈴木さん。「地域共同体を破壊し、居住の権利を奪った原発事故は罪深い。今も責任が不明確だ」と憤る。

 原発事故に翻弄された一人でもある鈴木さんは強調する。「日本の歴史上、人権への目覚めに結びついたのが民権運動だ。災害を通じて人権の大切さを痛感した福島で、民権運動を再考する意義は大きい」

[自由民権運動]1874年の民選議院設立の建白書の提出を機に、国会開設や憲法制定などを求めた政治運動。各地の民権運動家らが民主的な憲法草案を作ったが、天皇を元首とする大日本帝国憲法が89年に発布された。福島県令の三島通庸は82年の福島事件で民権運動家らを弾圧した。