東日本大震災や東京電力福島第1原発事故の被災地に、首都圏や仙台など都市部から気概に富む人々がUターンしている。「復興の力になりたい」「傷ついた古里の行く末を見守りたい」。生まれ育った景色は失われても、古里への思いは消えない。

◎復興Uターン(4)大船渡市 ホテル椿マネージャー 佐々木陽代さん(30)

 曽祖母から数えて女系の4代目。幾度となく津波に襲われたまちの宿に、ひ孫娘が帰ってきた。
 東日本大震災の発生から2年半後に完成した大船渡市のホテル「大船渡インター ホテル椿」は、マネージャーの佐々木陽代(ひより)さん(30)が、母博子さん(54)と切り盛りする。
 津波で全壊した母の旅館「海風苑」を内陸部に移して再出発した。栄養のバランスを考えた食事など、気配りと家庭的な雰囲気が売りだ。
 震災の津波で母の「海風苑」だけではなく、祖母幹子さん(78)の「ホテル福富」も2階まで浸水した。「もう再起できない」と感じていた。
 だが、祖母だけは違った。がれきの中に孤立したホテルで布団にくるまりながら「復興には泊まる場所が必要だ」と再開を決意。震災から約4カ月後には、水没を免れたホテルの3階で宿泊客の受け入れを始めていた。

<血筋が背中押す>
 津波常襲の浜で旅館業一筋。「佐々木家の血」(幹子さん)が背中を押した。
 曽祖母の故フクエさんが「福富旅館」を開業したのは1952年。8年後の60年、チリ地震津波が大船渡を襲った。やはり被災したが突貫で建物を修繕し、19日後にはいち早く営業を再開し、旅館は復旧活動の拠点となった。
 曽祖母に旅館業の何たるかを学んだ祖母。働く祖母の背中を見て育った母。女の意気地は陽代さんにも受け継がれていた。勤めていた花巻市の温泉旅館を2012年末に辞め、傷ついた古里でホテル開業に奔走する母との二人三脚が始まった。
 リニューアルオープンしたホテルは復興工事の関係者でごった返した。
 「ホテルぐらいはしっかりしてくれよ」。疲弊してストレスがたまった宿泊者が怒声を浴びせる。「被災者であっても、自分たちは迎える側の人間」と陽代さん。がむしゃらに働いた。
 祖母のホテルは15年4月に移転、新築を果たした。親子3人で宿を2カ所も再建し、多くの借金を背負った。復興需要は間もなく終わる。曽祖母の代から築き上げてきた信頼が頼りだ。

<地域密着に活路>
 新たにホテルでフラワーアレンジメント教室やコンサートを開くようになった。「地域密着」こそが旅館業の基本と考えた。
 サンマの水揚げ本州一の大船渡をアピールするなど、さまざまな復興まちおこしイベントにも裏方として関わる。「地域の魅力を再発見できるし、(復興の最前線に立つ)異業種の人々との交流で学ぶことも多い」
 「佐々木家の女性は『サイキョウ』なんです」と陽代さんがはにかんだ。
 創業の曽祖母は「最強」。津波にも歯向かう祖母は「最恐」。周囲と一緒に笑顔で困難を乗り越える母は「最共」。
 「私も、いろいろな人と出会って成長し、周囲に影響を与えられる人になりたい」
 4代目が目指すのは「最響」-。