東京電力福島第1原発事故の刑事責任を巡り、東京地裁は旧経営陣3人に無罪判決を言い渡した。「事故当時の社会通念からすれば、原発は絶対の安全を求められていたわけではない」と判断した司法。社会は原発とどう向き合うべきか。判決への評価と現実の課題を識者に聞いた。(聞き手は福島総局・斉藤隼人、近藤遼裕)

◎元京都地検検事正・弁護士 古川元晴氏(77)

 津波により原発事故が起こる危険が予測され、どれだけの根拠があれば事業者に対策を義務付けられるかが問われた。原発事業者は高度の注意義務が課されていると解するのが市民の常識のはずだが、判決はそこを論じていない。社会への重大な危険を軽視し、原発の稼働を重視した判断だ。

 東電の無責任体質がよしとされれば、将来また事故が起きかねない。判決は事実上、事故当時の原子力ムラの考え方を「社会通念」として無批判に採用した。全体として極めて不当な内容になっている。

 この事故は当初から強制捜査の必要性が指摘されていた。結局、検察は強制捜査をせずに不起訴処分にしたが、厳正な処理とは評価できない。一方、検察審査会が使命を適切に果たし、公開の裁判で審理されたことは高く評価すべきだ。

 事故後、複数の事故調査委員会が報告書を出し、特に国会事故調報告は「事故は人災」と断定した。だが、関係機関の誰も全く責任を問われない状況が続く。

 責任追及の場は司法しかないのが実情なのに、今回のように市民感覚と乖離(かいり)した判断が出る。事態は深刻で、国家の重い課題と捉えなければならない。