秋田県の県有種雄牛の「不動のエース」で、2012年の全国和牛能力共進会(全共)長崎大会の肉牛の部で秋田初の全国2位を獲得した「義平福(よしひらふく)」号が立つことが困難となり、引退して15日にと殺されることになった。飼育している大仙市の県畜産試験場で10日、県内の畜産関係者が神事を行って長年の功績をたたえた。12月には参加者100人規模の「義平福に感謝する集い」が秋田市で開かれる。

 義平福は06年4月に羽後町で生まれた。全共で2位を獲得した当時、飼育頭数が東北6番目と最も少ない秋田から優れた牛が誕生したことに驚きの声が上がったという。

 その後、義平福の系統の子牛を求める関係者が増え、「県内の畜産農家に経営規模拡大の機運が高まった」(県畜産振興課)。この盛り上がりが、14年の「秋田牛」ブランドの創設につながった。

 「感謝する集い」の発起人代表を務める全国和牛登録協会県支部の加藤義康支部長は「(肉の)品質や肉量は全国でもトップレベル。これだけの名牛はいない」と褒めちぎる。

 義平福は17年ごろにひづめに炎症が発生し、歩行困難に陥った。今年9月に症状が急激に悪化。食欲低下で衰弱し、獣医師から回復の見込みがないと診断された。

 黒毛和種の雄で体重が1000キロを超すのは珍しいとされる。最盛期の義平福は1100キロと大きく、現在も980キロある。

 10年間管理に携わった県畜産試験場の高橋利清主任研究員は「小さい頃から体が大きく成長が早かった」と振り返り「と殺は苦渋の決断だ」と残念がった。

 系統の子牛は1万2000頭生まれた。凍結精液の備蓄は約4万本あり、今後も農家の要望に応じていく。県畜産振興課の畠山英男課長は「義平福の時代は一区切りとなるが、関係者が一体となってさらなる肉用牛のレベルアップを図りたい」と語る。