恐怖の一夜が明けると、辺り一面は泥の湖だった。台風19号が12日夜から13日未明にかけて東日本を縦断し、東北でも河川の氾濫や堤防の決壊が相次いだ。急激に増える水かさとともに膨れ上がる死の恐怖-。「早く助けて」。陸の孤島になった家々や病院、役場には逃げ場を失った住民や患者らが取り残され、必死の救助活動が夜通し続いた。

 「防災無線も聞こえず、急に浸水した。『命だけは』と必死で逃げた」

 町全域が浸水した宮城県丸森町の金山地区で理美容店を営む引地信弘さん(44)は12日夜、自宅に水が流れ込み、家族5人で車中泊をした。

 同地区の自動車販売会社経営斎藤洋一さん(77)は、商品の車約30台が水没していく様を見詰めるしかなかった。「補償などを考えると現地再建は難しいかもしれない。悔しくて言葉にならない」と涙を流した。

 自衛隊のボートで救出された小斎地区の農業高瀬正男さん(82)は「あっという間に水かさが上がった。倉庫が浸水し、頑張って育てた米が全て駄目になった」と肩を落とした。

 町では終日、必死の救出作業が続いた。13日午後3時ごろ、海上保安庁のヘリで救出された向原地区の女性会社員(57)は「父は高齢で脚が悪く、避難所に行けなかった。危ないところだった」と胸をなで下ろした。

 町役場や町国民健康保険丸森病院がある中心部は一帯が冠水し、孤立状態に。同院は1階が浸水し、入院患者56人と避難者4人が医師や看護師と不安な夜を過ごした。

 床上浸水が始まったのは13日午前1時45分ごろ。看護師長引地由美子さん(53)は「雨とサイレンの音がすごかった。患者の体調が急変しないか心配で、不安を取り除くよう声を掛けた」と振り返った。

 入院病棟は2、3階にあり、浸水を免れたが、カルテの一部や訪問診療車などが水に漬かり、待合ホールにはごみ箱やバケツなどが浮かんでいた。断水が続き、食事は非常食。復旧状況を見極めながら患者の転院を検討するという。

 同じく陸の孤島となった町役場では、職員らが現場に向かえないもどかしさを抱えながら夜通し情報収集に当たった。役場周辺が水浸しになったのは12日夜。町の排水ポンプをフル稼働したが記録的な雨量に圧倒され、なすすべはなかった。

 保科郷雄町長(69)は「8年ほど前に役場近くの遊水池を広げたが、それでも足りなかった。ポンプの機能が十分だったかを含め、検証が必要だ」と話した。

 宮城県警によると、丸森町竹谷、筆甫両地区で2遺体が見つかり、身元の確認を急いでいる。
(角田支局・田村賢心、大河原支局・山口達也、報道部・鈴木拓也、鈴木悠太、栗原康太朗)

◎福島・郡山 橋閉鎖、川を渡れず

 「ゴー、ゴー」と音を立てる強風にあおられ、雨が窓を打つ。12日午後8時ごろ、支局のある福島県郡山市内は雨がさらに強さを増した。

 阿武隈川の水位を知らせるメールの音がひっきりなしに鳴る。13日未明、ついに「氾濫した」との情報に緊張が走る。

 同日午前、恐る恐る車を出した。市内は至る所で道路が冠水し、通行止めに。阿武隈川に架かる橋の多くが閉鎖され、まだ閉鎖されていなかった行合橋を目指す。水浸しの同市水門町が視界に入ってきた。

 2階建て住宅の1階が水に漬かり、車も水没していた。波立つ水面にボートを浮かべ、消防隊員や自衛隊員が逃げ遅れた住民らの救助に当たっていた。

 阿武隈川と支流の谷田川に挟まれる水門町は、1986年の8.5豪雨でも被害を受けた。

 水門町に半世紀以上住む無職渡辺義輝さん(80)は「8.5より水量が多い。豪雨の後に堤防を高くしたりポンプ場を造ったりしたのに…」と肩を落とした。
(郡山支局・岩崎かおり)

◎福島・伊達 居残った男性救出

 福島県伊達市梁川町中心部の住宅街には、阿武隈川支流の塩野川が氾濫した13日未明から濁った水が押し寄せた。ネット入りのタマネギやビールが散乱し、袋菓子やカップ麺が浮かんでいた。

 13日正午時点で水かさは消防団員の太もも程度。「だいぶ引いたよ」。近所の男性が目の前の車を指さした。タイヤ上部が水面から出ているが、朝は車体がほぼ水没していたという。

 ゴムボートが住民を次々と救出していく。救助を指揮する担当者は「携帯電話がなく、救助を要請できない人もいるはず。何人救助すればいいのか」ともどかしげに話した。

 「あれ、お父さんじゃない?」。救助の様子を見守っていた女性が声を上げた。女性は12日夜、近くの高台にある娘の家に避難したが、夫は自宅に残り、連絡が取れずにいた。

 女性が夫に駆け寄る。「床上1.5メートルの浸水。仏壇も何もかも倒れた」。一瞬、肩を落としたが、最悪の事態を免れた安心感から表情を緩めた。
(福島総局・関川洋平)